問題克服の処方箋
「循環型社会形成推進基本法」の問題
―定常開放系のエントロピー論の視座から―

結 論 本来あるべき「循環型社会形成推進基本法」

 「循環型社会形成推進基本法」の立法の主要な起因は,廃棄物処分場の枯渇問題の深刻化であった。これを回避するために法律が立案され,施行された。その目指すところは循環型社会の構築である。廃棄物の減量の手段として発生抑制,再利用,再生使用を用いることを規定した。それを適切に滞りなくおこなうために廃棄物処理の優先順位を定め,国や地方公共団体,事業者,国民の責務まで明確化した。
 それに対して法律が規定する循環型社会の定義は,天然資源の消費の抑制と環境への負荷のできる限りの低減がなされる社会であった。
 その内容からは法律に準じて廃棄物の発生を抑えていっても,廃棄物の発生を完全に止められないので最終的には廃棄物処分場は満杯となり,廃棄物の捨て場が無くなることが読み取れる。つまり,本法は資源・廃棄物問題を先延ばしにするだけの法律なのである。
 最初の草案の段階からそれを見越してつくられた法律であるなら,批判するところではないのだが,そうだとしても現在の環境問題とくに資源・廃棄物問題は差し迫った社会問題である。だまってほとんど存在意義を持たないような法律を野放しにしておく悠長な時間はないだろう。
 そこで不明確な理論的視座を定常開放系のエントロピー論に置く。すると「循環型社会形成推進基本法」が,人間社会の範疇に限定して,リサイクルの手法を用いて資源を循環させ,もって環境と経済・産業の「物質循環」の結合を図ろうとしたことがその欠陥の原因であることがわかった。第3章で論証したようにより的確な地球上で廃棄物を処理する方法は,廃棄物処分場への埋め立てではなく,自然の複合的な物質循環に人間社会で発生した廃棄物をうまく乗せることであった。廃棄物と資源の流れを人間社会のなかだけで循環させようとしたのが間違っていたのである。
 これまでの法律の内包する欠陥の検討とその欠陥を訂正する論理的視座を熟考し,本来あるべき「循環型社会形成推進基本法」を模索してみる。
 まず正確な「資源循環型社会」の定義を試みたい。「資源循環型社会」とは人間社会の物質循環と自然の複合循環の結合というグローバルな視野で資源と廃棄物を循環させ,それにより環境と経済・産業の結合を図り,資源・廃棄物問題を回避するとともに,既存の自然及び社会の物質循環を維持・修復したり,新たな物質循環を創意・構築していくことである。この観点から社会経済システムの転換は,地球上に存在する「物質循環」全体を視野に入れて行われなければならない。そのような意味で「資源循環型社会」は「物質循環結合型社会」といえる。
 定義した「資源循環型社会」を構築するうえで選択すべき手段は,人間社会で発生した廃棄物は捨てるのではなく,自然に返却することである。すなわち廃棄物処分場への埋め立てを止め,自然の「物質循環」への返却という廃棄物の代替処理方法を採用するのである。ここで第1章第2節でふれた処理能力の増大という視点からの廃棄物の代替処理方法を論じることが可能となったのである。まえにも述べたが,まず廃棄物をそのまま自然に返却できるものとそうでないものを選択する。つぎにそのまま返却できない廃棄物は自然が受容できうるかたちに科学技術を駆使して変換し,その後に自然に返却する。このような方法をとると廃棄物処分場への埋め立てによる廃棄物処理を行う必要がなくなる。そのため廃棄物処分場枯渇問題が解決する。また他に,この自然の「物質循環」の利用による廃棄物処理法を採用する利点がある。まず廃棄物処分場を建設・維持する費用がいらなくなる(経済的優位性)。廃棄物処分場へ埋め立てるよりも長期的・持続的に廃棄物を処理できる(処理能力の増大)。以前の埋め立てと比較して相対的に確実に廃棄物を処理できる。
 では定常開放系のエントロピー論を用いることによって,リサイクルの意義と限界をどのように考えればよいことになるのであろうか。とりあえずは廃棄物処分場の枯渇問題の解決手段としてリサイクルをする必要性がなくなる。
 廃棄物はその需要が供給を越えたときのみ資源となる。この点に関して,定常開放系のエントロピー論の活動を維持するための物質循環という観点からは.儲けたいという欲望が供給となり,廃棄物を資源として動かす。それが社会の物質循環を担う物流となる。その意味で,リサイクルは儲かるというもののみが存続可能であり,それ以外は存続不能でリサイクルでない。儲からないようなものは,自由財であり,それを運ぶような無意味な活動もしくは行動をする必要性はないということになる。
 さらに重要なことはこのリサイクル産業というものは,儲けたいという金銭的欲望に基づいて人間社会の中で物質を循環(物流)させるひとつの「物質循環」機構なのである。つまり人間社会というひとつの系の中での自生的な物質の循環機構なのである。このリサイクル産業という「物質循環」機構も,人間社会の外の「物質循環」と物質・エネルギーの出入りによってつながっていなければ,系内のエントロピーが増大し,循環が滞りなく行われなくなり本来の機能を十分に発揮することができない。
 また,エントロピー論によれば,廃棄物のエントロピーを小さくするには,他のエントロピーの小さい資源・エネルギーを使わなければならない。それで,リサイクルしてできた製品と使った資源・エネルギーを比較して,どちらが価値があるのかを考えなければならない。もしリサイクル製品の価値が低ければ,リサイクルをすることは資源・エネルギーの余分な消費と廃棄物の発生になるだろうし,逆ならば,リサイクルの意義が生まれてくるだろう。その価値を判断するのは,価格であり需給バランスである。これがリサイクルの限界を指し示している。
 したがって,リサイクルとは,一度経済社会のなかで使用し,その使用価値が減少した資源を,本来は物質循環をつなげるために廃棄物として自然に返却するところを,市場原理に照らし合わせてそこに商業の余地が存在していることを見抜き,新たな資源・エネルギーを投入し,もう一度人間社会の中で循環させる活動・行動ということになる。
 本来「循環型社会形成推進基本法」に規定されるべき事柄は,正確な廃棄物問題を解決し,正確に定義した資源循環型社会を構築することを促進するための条文でなくてはならない。
 正確な廃棄物問題とは,物質循環を利用する廃棄物の処理方法を用いるとすれば,物質循環の外に廃棄物を放棄すること,または物質循環の機能を低下させたり,停滞させたりすることである。
 すべての廃棄物を資源に戻せるというイデオロギー化したリサイクル理念を用いて,資源を何度も繰り返し再生して使うという意味での循環の「循環型社会」は現実には成立しないものであり,人間社会の活動の維持を保証するエントロピー水準を,一定に保つために,物流によって社会を活発に駆動させる意味での循環の「循環型社会」を形成することが定常開放系のエントロピー論から導き出される帰結といえる。
 そこで,物質循環を無視した廃棄物の処理を抑制し,物質循環の機能をできる限り完全な状態に保持する社会の構築を目指すことが法律に規定されなければならない。
 したがって,条文として明確に規定されるべき事柄は,第1に自然に存在する「物質循環」と市場経済に基づく人間社会の「物質循環」の結合をはかることが最優先事項であることを明記する。そして,その具体的な結合方法として第2に廃棄物の自然の受容可能形態を個々の廃棄物について詳細に明記する。さらに第 3に自然の循環に乗ることが不可能な廃棄物を列挙し,その発生を禁止する旨を明記する。それらの事項との補完より導き出されることとして第4に今後すべての環境政策の指針として自然および人間社会の「物質循環」の維持・創意が最も重要な視点であることを明記する。したがって現行の「循環型社会形成推進基本法」のもとに規定されている容器包装リサイクル法などの具体的個別の法律はすべて,上位の法律である「循環型社会形成推進基本法」の訂正にしたがって,変更されるべきであろう。
 以上述べてきたような方法による訂正で「循環型社会形成推進基本法」は真に意義をもった法律として本当の資源・廃棄物問題に効果を発揮することが期待できる。


 〈引用文献〉

序論
(1)環境省ホームページ
 http://www.env.go.jp/recycle/circul/kihonho/shushi.html 2002年8月2日現在。

第1章
(2)環境法令研究会(2002)『環境六法平成14年度版』中央法規出版,1585-1589頁。
(3)槌田敦(1998)『エコロジー神話の功罪 サルとして感じ,人として歩め』ほたる出版,40頁。
(4)山谷修作(2002)『循環型社会の公共政策』中央経済社,2-3頁。
(5)山谷 同書,13-14頁。

第2章
(6)槌田敦(2002)『新石油文明論 砂漠化と寒冷化で終わるのか』農山漁村文化協会,132頁。
(7)ケネス・E・ボールディング 公文俊平訳(1975)『経済学を越えて』学習研究所,213頁。
(8)ボールディング 同書,436頁。
(9)ニコラス・ジョージェスク=レーゲン中釜浩一ほか訳(1993)『エントロピー法則と経済過程』精興社,364頁。
(10) ニコラス・ジョージェスク=レーゲン 室田武ほか訳(1981)『経済学の神話』東洋経済新報社,83頁。
(11) ジョージェスク=レーゲン 同書,172頁。
(12)ジョージェスク=レーゲン 同書,171頁。
(13)ジョージェスク=レーゲン 同書,83頁。
(14)ジョージェスク=レーゲン 同書,101頁。
(15)ケネス・E・ボールディング 猪木武徳ほか訳(1987)『社会進化の経済学』HBJ出版社,212頁。
(16)ボールディング 同書,212頁。

第3章
(17)槌田敦(1992)『熱学外論―生命・環境を含む開放系の熱理論―』浅倉書店,はじめに。
(18) ニコラス・ジョージェスク=レーゲン 室田武ほか訳(1981)『経済学の神話』東洋経済新報社,163頁。
(19)ジョージェスク=レーゲン 同書,165頁。
(20)槌田敦(2002)『新石油文明論 砂漠化と寒冷化で終わるのか』農山漁村文化協会,138頁。
(21)槌田 同書,151頁。
(22)槌田敦(2001)『石油文明の次は何か 環境破壊の現石油文明から,豊かな後期石油文明を経て』「名城論叢」第1巻第3号 研究ノート,94頁。
(23)槌田敦(1992)『熱学外論―生命・環境を含む開放系の熱理論―』浅倉書店,53頁。
(24)槌田 同書,133頁。
(25)槌田 同書,133頁。
(26)玉野井芳郎(1982)『経済学・物理学・哲学への問いかけ 生命系のエコノミー』新評論,84頁。
(27)玉野井 同書,84-85頁。
(28)槌田敦(1992)『熱学外論―生命・環境を含む開放系の熱理論―』浅倉書店,154頁。



問題克服の処方箋 近 藤 邦 明氏 『環境問題』を考える より
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更新履歴
新規作成:Mar.16.2009
最終更新日:Mar.16.2009