今日の日本列島の原始形態は、氷河時代の200万年前には創られたものであると言われます。各種の大小動物も増えて、群れを成して山野に満ち、生活適地を求めて移動し、大陸と陸続きの日本に移ってきた動物もありました。日本で発見される哺乳動物の化石は100種以上もありますが、その2割近くが象の仲間で、南方系北方系が入り混じっています。気候の変化に伴い、南北に移動する動物群を追って人間集団も日本に移り住むことになりました。
やがて最後の間氷期には海水が溢れ満ち、朝鮮海峡や宗谷海峡等の比較的低い陸地に侵入し、日本と大陸を繋いでいた細い帯状の陸橋は失われて、ついに日本は島として孤立しました。人間も動物も日本列島に孤立します。 事業地区内花泉町の「ハナイズミモリウシ、トクナガ象」の化石は、この時点のものとされています。
当事業地区に隣接する宮城県古川市の *注「馬場壇」 は旧石器時代前期遺跡で、15万年前の遺跡には炉跡も出土して、すでに当地方一帯で旧石器時代から人類が生活していたことを証明しました。その後の時代も旧石器(先土器)遺跡は胆沢町上萩森でも発見されています。縄文時代の遺跡は地域内の至る所で出土していますし、弥生時代の遺跡は一関市谷起島で大量出土しています。古墳時代、奈良時代の遺跡は、胆沢町角塚や前沢町明後沢から出土して、当事業地区を含む当地方一帯は、旧石器時代前期から奈良時代まで一貫して人類が生活したことを示しています。
*注:主要な科学的証拠である脂肪酸分析と残留地磁気分析の両方ともに偽造の疑いが非常に高く「馬場壇A」遺跡自体がねつ造と考えられるに至った。
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更新履歴 新規作成:Apr.1,2004
最終更新日:Apr.3,2009 |
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