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編 集 後 記
真滝村誌は、大正五年十二月に上梓されたものである。一関市立図書館で閲覧に供している誌は青焼きの複写本である。
三分冊になっており、上巻・中巻・下巻になっている。一章から二十章までで次のとおりに構成されている。
上巻 第一章から第七章まで 沿革から学事
中巻 第八章から第十三章まで 社寺及び宗教から風俗習慣
下巻 第十四章から第二十章まで 経済から口碑伝説
冒頭の目次は省略され、分冊ごとに巻頭に書かれている。また、眞瀧村史編纂事実顛末を各巻に付してある。
それによると、大正三年、真滝村青年会が天皇即位を記念して村史編纂の建議の声を挙げ村議会で可決し、編者熊谷良治に編纂依頼の打診があり、村史編纂委員会を組織して編纂することを当時の熱海村長に建議した。そして、村長より一切の委嘱を受け、三年間をかけ資料蒐集及び取材をしたこと。体裁は二十章を設け章の中を節に分け、各章毎に最初は古来の史実を記し漸次年代を追うこと。史実は古書・旧記に依り、古老や先輩に教えられ現地踏査し、独断を避けたことーーなどを記している。
また、町村制施行以降のことは真滝村役場・西磐井郡役所で調査し、判らないところは吏員に聞いた等々、調査編集の方針と経過を箇条書きに述べ、参考資料・協力者名が記載されている。
私がこの村史の原稿を再発掘したのは平成十三年十一月で、当時の狐禅寺公民館長石川玉置氏が、教員現職中に勤務した真滝中学校に、郷土史関係の資料が校長室の戸棚の中に散乱していたのを見たことがあるとの情報を得て、同室内を探したところ草稿を発見したのである。
この草稿は、真滝中学校の罫紙(美濃紙罫紙と普通紙罫紙)に数人で分担して真滝村誌から滝沢地区に関わる部分を抜粋したものと推定される。
ちなみに真滝村史ができたのは大正五年であり、一関市制施行(一関町、山目村、中里村、真滝村)は昭和二十三年、第二次合併(萩荘村、厳美村、舞川村、弥栄村)は昭和三十年、青焼き印刷が普及したのは昭和四十年ごろ、一関市史編纂(市制二十周年記念事業)は昭和四十三年から五十三年だった。この抜粋原稿について、私があちこちをたずねて判明したことは、昭和三十二年まで真滝中学校の図書館司書をなさっていた橋本時子さん(旧姓千葉)=宮城県亘理郡山元町在住=が、当時、校内の図書担当菅原敬志先生から頼まれ、この草稿の書写に携わったということだった。当時の用務員の方の証言も得て、その書写の年代は、渡辺一校長時代の昭和三十年ごろと推定される。多分、村誌の草稿を見つけ、貴重な資料なので、後世に残すべきと判断して何人かで手分けして書写したものとみられる。
いずれにせよ、抜粋とはいえ、当時の資料も今は現存していないものが多いはずである。また、図書館保存の青焼きの一部とはいえ、図書館の青焼きにも収録されていない内容もある。従って貴重な原稿といわざるを得ない。私はこれをただ眠らせて置くことは惜しいと考え、原版の草稿は製本し真滝中学校にお返しし、製本の際ににコピーさせていただいたものをもとに、途中欠けている部分の何ヶ所かを図書館その他の原資料で補い、活字印刷によって復刻いたしました。世間に日の目を当て、多くの人が読めるようにする事も大切な意味を持つものと考えたからです。誤字・脱字等があるとは思いますが、ご容赦いただき、一関市立図書館の原版と照合していただければ幸いに存じます。
なお、復刻刊行にあたり、この重要性を認識し、小野寺永幸、小野寺賢郎、亀卦川慧、遠山敏男の諸氏が刊行委員会を結成して支援してくださり、近所の蜂谷一夫氏は長文の判読困難な原稿を長期間かけてパソコンに入力し、知友の小池平和氏が校正と再編集を引き受けてくださり、ようやく日の目を見ることができました。こうした関係者の方々のご協力に深甚なる感謝を申し上げます。
平成十五年三月
真滝村史復刻刊行委員会 事務局長
蜂 谷 艸 平
一関市滝沢字寺下二九の三
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底本:「復刻 眞瀧村誌」
2003(平成15)年6月10日発行
発行者 眞瀧村誌復刻刊行委員会
代表 蜂谷艸平
2004年3月10日作成