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 第八節 年中行事

(本文ハ、本村ニテ現ニ行フ事項ニシテ、記セシハ古書ニ見ユルヲ参考ノタメニモナラバヤト記セルモノナリ)

一、門松
 十二月末日、即チ年越ノ日ニ於テ、之ヲ門口ニ建ツ。先ヅ、三階又ハ五階、七階正シキ松ト竹ト栗ノ若木トヲ、門ノ両側ニ立テ根元ヲ鬼打木トテ、大ナル割木三本ニテ支ヘ、七、五、三ヲ張ル。七五三ハ三五又ハ七ノサカリヲ付シ、中央ニ橙・蜜柑・昆布等ヲ挿ミテ、之ヨリ又紙ヲ下ケ、飾トス。今ハ、只、松ノ小枝ヲノミ用フルモアリ。
 上古ノ風俗、神ヲ祭ルニ、大概、庭上ニ常盤木ヲ挿ミテ神座トセリ。歳首ハ殊ニ神祗ヲ祭ルノ国風ナルニヨリ、毎戸其門頭ニ神座ノ蒼樹ヲ設ケタルニ始マレリ。延喜ノ頃、惟宗孝言ノ正月ノ詩ニ、鎖門覧木換貞松トアル。自註ニ近来世俗皆以松挿門戸而余以覧木換之故ト云ヒ、木朝無題ノ詩ニ見エタレバ、松ヲ用フルコト己ニ久シ。其後、一條禅閤ノ世俗問答ニハ、松ト竹ト用フルコト見エ、松ハ千年ヲ契リ、竹ハ万年ヲ契ルモノナレバ、年ノ初メニ祝ヒ用フルヨシ。

一月一日(元旦)
 早朝午前二時頃ヨリ斎戒沐浴シテ、村内ノ神々ニ幣帛ヲ捧ゲ、参拝ノタメ巡回シ、帰リテ雑煮ヲ食スルヲ例トス。神社参拝時ハ旧年中ニ其ノ受持神官ニ与ヘラレ居リタル御幣ヲ捧ゲ、御供餅及灯明等ヲ捧グ。
 此日、家中棚アル一室ニハ、注連ヲ張廻シ、神棚ニハ歳徳ノ画像ヲ張リ、鏡餅ヲ供フ。雑煮餅トハ、引大根、人参、牛蒡、昆布等ヲ入レ、煮タル汁ニ餅ヲ入レタルナリ。

鏡餅
 歳首ニ餅ヲ鏡形ニ造リ、神ニ供ヘ身ニモ祝フハ、古キ慣習ニシテ、古ハ歳始ニ家内長幼ノ順序ニ從ヒ、大小ノ餅ヲ製シ各其餅ヲ戴キテ後、雑煮餅ヲ合ス。此レラ二lツ重ヌルハ、陰陽ニ象リ夫婦親子ニ比ス。源俊頼ノ、歯固ノ折敷ノ敷物ニ書キツケル歌ニ、

    我をのみ 世々にもちひの 餅の草
        さきさかえたる 影ぞうつれる といえり

元日慶賀
 神武天皇元年、皇子・大夫、臣、連、伴造・国造率イテ賀正朝拝ス。賀正ノ儀、此時ニ始マルト古事記ニ身ユ。支那ニテハ、漢ノ高祖七年、長楽宮成リシ時、群臣朝賀ノ儀ヲ制ストアルヲ始メトス。
  歳徳神―歳徳神ハ頗ノ梨女所謂八将神之女也。

一月二日
 此ノ日一関町ニ於テハ、各商店部賣出シヲナスヲ以テ、午前一時頃ヨリ一関町ニ赴キ、入用品ヲ購入ス。景品ヲ受ク。近来ハ、各商店競フテ賣出シ、広告ヲナシ、福引ヲ行フ。又、第一ニ早ク購入シタル者ニ、多額ノ景品ヲ贈呈スル家モアリ。

一月三日
 之ノ日迄ヲ御三ヶ日ト云ヒ、総テ仕事ヲ休ムヲ常トス。

一月四日
 明吾、一関町ノ親族・知友其他懇意ナル家ニ、年賀ニ持チ行ク。餅ヲ搗キ婚姻ノ家ニ年始ニ行クヲ例トス。之レニハ、切ル七□帰ルヲ忌ム。旧年中ニ婚姻セル節ハ、皆、打揃フ。

一月五日
 一関町ノ親族・知友其他ニ年賀ニ行ク。年賀ニハ餅ヲ贈ル。鏡餅ハ直径五・六寸ニテ、二、三ヶ又ハ五ヶトシ、其量ハ約米壱升搗キ位トス。

一月六日
 此ノ日、農家ニテハ、本年薪トシテ、切ルベキ山ヲ切リ初ム。

一月七日
 早朝ニ起キ、七草ヲ俎板ニ載セテ包丁ニテ打ツ。
 此時唱フル歌ハ

  七草はたけはたけ、日本の鳥も、唐土の鳥も、治らぬ中に七草はたけはたけ

ト幾度モ歌イテ打ツナリ。
 朝ハ、七草粥トテ最モ軟ク煮タル粥ヲ食ヒ、汁ニハ七草ヲ入レタルヲ食ス。
 七草トハ菘、蘿蔔、芹、薺、鼠鞠、ハコベ、仏座ナリ。然レドモ、之レ等七草ヲ整セラレコト容易ナラザルヲ以テ、何ナリトモ七種ノ野菜ニ用フルヲ常トス。

七日粥
 宇田天皇寛平二年(註1)、始メテ七種粥ヲ献ズトアリ、民間ニテハ、尚古クヨリ行ハレタルベシ。

一月八日 九日
 此ノ両日ハ山ニ行カヌ日ナリトテ、農家ニテハ山ニ入ルヲ忌ム。

一月十一日 農初メ
 此ノ日、農初メトテ早朝起出デ、厩屋ヨリ厩肥ヲ高ク捧ゲテ(一握リ位)、畑等適当ナル所ニ放置シ、其レヨリ縄谷種、草鞋等ノ藁細工ヲナス。午前中ニ終ルヲ常トス。此ノ間旧年二十八日ニ於テ搗キ、元日ニ於テ諸神ニ供ヘ置キタル鏡餅ヲ焼キ料理シテ食スベキ仕事ヲナスナリ。

一月十二日
 此ノ日ハ、山神年取リナリトテ、婦人ハ山神ヲ祭ル。男子ハ此ノ日、山ニ入ルヲ忌ム。

一月十四日
 何ノ風ナルカヲ知ラザレドモ、此ノ日、団子又ハシイナ餅ヲ搗キテ、水木ニナラス風行ハル。(シイナ餅ハ粟穂ヲ模シ、団子ハ繭ヲ模シタルモノニシテ、当年モ豊熟スルヲ祝フナリ)。

一月十五日
 中ノ年取リナリトテ祝フ。門松ハ此ノ日ニ撤シ、勝ノ木ニテ作リタル花ノ形ニ作リタルヲ十数ヶ、若キ栗ノ木ノ枝ニ付ケテ門松ノ代リニ門ニ立ツ。又、農真似ナリトテ、畑ニ藁カラ等ヲ挿シ、及、勝ノ木ニテ茄子ナンバン等ノ花実ノ形ヲ造リテ、之ヲ挿ス。家風ニヨリテハ夕顔ニ真似テ門ニ吊スモアリ。維新当時迄ハ、此日ヨリ十六日迄ハ朝ヨリ夜ニカケテ種々ノ芸人来リテ祝ヒ、賑カナリシナリ。今ハ然レドモ、夜ニ入リ若者等時トシテ来ルコトアリ。但シ虎舞田打位ノモノナリ。
 其ノ当時行ハレタル遊芸ヲ挙グレバ、

 虎舞 大黒舞 お福 セキブロ

 此ノ外正月ニ於テ行ハレシハ

 ○田打 ○萬歳 ○越後獅子等ナリ。田打チハ十四日マデニテ、十五日ニナリテ来ルモノハ忌ム。遊芸人ハ家々ヲ廻リテ興行シ、家々ニテハ、残リ□ヲ与ウ(○印ハ明治二十五年・六年頃迄行レタリ)。此ノ夜ハ白粉塗リ行ハル。

一月十六日
 朝ヨリ夜マデ一家楽シク遊ビ、仕事ヲナサズ。

一月十八日
 御十八夜トテ神ヲ祀ル。(御十八夜ノ條ヲ見ルベシ)

一月二十日
 此ノ日モ仕事ヲ休ミテ楽シク遊ブナリ。

一月晦日
 後ノ正月トテ歳神ヲ祀ル。

御正月ニツキテ

一、松ノ内(注連ノ内トモ云フ)
 正月十五日マデヲイフ。古来ノ風習、此ノ十五日間ハ金銭督促ナドタサザリシガ、今ハ余程義理堅キ人ニアラザレバ、之レヲ守ルコトナシ。

一、若 水
 正月三ヶ日(三ヶ日トハ元日二日、三日ヲ云フ)及ビ五日、七日、十一日、十五日、二十日、晦日ノ井戸及至清キ流レヨリ水ヲ汲ミテ、歳神ニ供フ。器ノ手桶・柄杓ヲ用フ。皆、新調セルモノナリ。手桶ニハ注連ヲカク。

一、御年男
 其ノ家ノ旦那又ハ長男、場合ニヨリテハ他ノ若キ男ガ、年男ト称シテ若水ヲ汲ミ、歳神ニ供物ヲ捧ゲ、其他、正月中ノ一切ノ神事ヲ掌ルナリ。

一、初 夢

一、モチ切リ
 十五日ニ行フ。一人ハ山刀又ハ斧ヲ持チ果樹ノ側ニ立チテ「ナラザラ切るぞ」ト云フト、外ノ一人ハ「なりますなります」ト云フ。而シテ次ノ果樹ト順々ニ廻リ行ク。

一、みたまの飯

一、年始廻リ

二 月

初 午
 此ノ月ノ初メノ午ノ日ヲ初午トイヒ、赤飯等ヲ炊キ神ニ供フ。(神ハ竹駒神社ナリト云フ)
 火防セ祭リ(俗ニヒビセマツリト云フ)トテ、一関町ニ於テハ祭典行ハレル。種々ノ余興等アリ。早朝ニハ流シトテ、男女ノ若者種々ノ形ニ変装シテ市中ヲ通行ス。又、簡単ナル山祭囃シ等行ハル。
 山祭ハ、稲荷様ヲ飾リ(稲荷様ノ形容トシテハ狐ノ像ナリ)、子狐共ハ手ニ手ニ扇手ヲ振回シ、囃ニ應ジテ身軽ク舞ヒ歩クナリ。
 一関近傍各村ノ消防手ハ、此ノ日、出初式ヲ行フヲ常トス。出初式ノ際ハ、町内有志者ハ各々懇意ナル消防組ニ祝儀ヲ出ス風アリ。祝儀ニ用フ品ハ金銭(弐拾銭以上壱円位)、清酒等ヲ普通トス。
 此ノ日、宮城縣宮城郡岩沼町ニ鎮座セル竹駒神社ニ参詣スルモノ多シ。

彼 岸
 春季皇霊祭ノ日ヲ中心ニ、一週間佛事ヲ祭ル。

社 日
 コノ日、農家ニ天神良キ種子ヲ与フトテ種籾ニ霧ヲ吹ク。

三月三日
 「雛祭り」女児ノ日、祭檀ニ雛ヲカザリテ祝フ。

四月八日
 「御釈迦様ノ日」トテ、釈迦降誕ヲ祝フ。餅又ハ団子ヲ食シ寺ニ詣ヅ。

五月五日
 「節句」トテ、男児ノ日、「鯉上り」「幟」ヲ立テ菖蒲湯ヲタテ蓬ト菖蒲トヲ軒ニサス。

六月一日 むけノ朔日(俗ニむきみノ朔トイフ)
 此ノ日ハ、業ヲ休ミ餅ヲ搗キテ食シ祝フ。又、正月ニ於テ搗キ神ニ供ヘタル鏡餅ヲ氷餅トシ保シ置キテ、此ノ日ニ於テ取出シ食フ。之レヲ歯固メト云フ。
 コノ日ハ衣服ヲ脱グ日ナリトカヤ。農家ノ休日トシ、又、コノ日「ぎしぎし」ノ花ヲトリテ床ニチラシ、「のみのふね」トテ、のみヲ追フコトナリトイフ。

七月六日 七夕
 各家々ニテハ、五色ノ紙ヲ短冊ニ切リ、之ヲ長キ青竹ニ付テ軒頭ニ掲ゲ、尚五色ノ短冊ノ外色紙ニテ「フキナガシ」「綱」「衣服」「ヘウタン」其他種々ノ形ヲ造リテ、共ニ笹ノ葉ニ結ビ吊ス。一関町ニテハ七夕祭盛ナレバ、五日頃ヨリ、竹ヲ賣ルモノ多シ。各商店ハ競フテ大ナル青竹ヲ立テ、五色ノ短冊ヲ付シ飾ル。夜ニ入レバ、軒頭及ビ青竹ニ種々ノ意匠ヲ凝シタル花籠提灯等ヲ點火シ吊ス。
 人形等ヲ見テ種々ノ飾立テヲナスモノモ少ナカラズ。ナレバ此ノ夜ハ、之レヲ見物セントテ近在ヨリノ人出多シ。近来ハ電灯架設以来「イルミネーション」等ノ飾リモ出テ、一段ト光彩ヲ添フ。
 五色ノ短冊ニハ和歌等ヲ記シテ掲グル風アリ。小学校ノ児童ハ各学年ニ相当シタル短句・格言・和歌等ヲ記シテ立ツ。
 翌七日ハ一般業ヲ休ミ、餅又ハ、赤飯等ヲ炊キテ食ス。

七月一三日
 コノ日ヨリ「おぼん」トイフ。(盂蘭盆会)
 家ノ一室ヲ清浄ニシ、棚ヲ設ケ、黄昏ニ及ビ先祖代々ノ位牌ヲ奉ジ聖霊ヲ迎ヘテ此ノ時門前ニ火ヲ焚ク。之ヲ迎火トイフ。焚火ノ材料ハ一定セズ。多ク麦稈等ヲ用フ。棚ノ飾リ方ハ、先ツ室ノ一隅ニ奥行三尺間口五六尺ノ棚ヲ設ケ、縄ヲ張リ、之レニ五色ノ紙ヲ結ビ吊シ、両側ニ昆布・ワカメノ類ヲ吊シ、之レニ五色ノ紙ニテ飾リ、先長キ幣束ヲ添ヘテ飾リトス。而シテ位牌ハ棚ノ上段ニ新シキ菖蒲ヲ敷キ、更ニ其レニ、新調セル呉座ヲ敷キテ、中央ニ安置シ、種々ノ秋草(桔梗・オモナエシ・萩等ハ必ズ供フ)ヲ飾リ、香花ヲ置キテ、本年ノ新葉ニテ製シタル香ヲ焼ク。
 香ヲ作るル材ハ「ねずの木」ノ葉ヲ採リ、之レヲ乾カシ粉末ニシタルモノナリ。
 佛前ニ捧グル食器ハ、盆ノ上ニ蓮ノ葉ヲ置キ、柳ノ箸ヲ添ヘテ奉ルナリ。本年ノ果実一切、之レヲ佛前ニ供フルモノトス。ソノ夜、一家ハ「つめいり」ヲ食ス。

七月十四日
 朝、蓮ノ葉ニ赤飯ヲ供ヘ、一家揃フテ墓前ニ詣フ。供物ハ、茶赤飯(普通ノ赤飯ニ生ノ米ヲ水ニヒタシタモノ及生ノ茄子オ小サクキザンダモノ)等細カクキザミタルモノ、香花等ヲ例トス。他ハ果物、菓子等随意ナリ。
 昔時ハ、各家ノ附近ニ墓アリタリシガ、今ハ会葬地トシテ村内一般同一ノ場所ニ墓地アルヲ以テ、此ノ日、互ニ知友・知人墓所ニモ詣ヅルナリ。
 帰レバ手製ノ「むぎ」「手打うどん」ヲ供ヘテ食ス。寺ニテハ、此ノ日ヨリ各檀家ヲ廻リ佛前ニ読経供養ス。

七月十五日
 此ノ日ハ「御帰り」トテ、佛様ノ帰ル日ナリトイフ。餅ヲ搗キテ佛前ニ供ヘ、家内モ又食ス。夕方ニ至レバ、佛前ニ供ヘタル一切ノ供物ヲ撤シ、之レヲ先ニ敷キ置キタル菖蒲ニテ包ミテ作リ、之レニ包ミ、胡瓜・馬(胡瓜ニ柳箸四本ヲ挿シテ馬トナス)ニ背負ハシテ送ルナリ。之レハ翌十六日ニ於テ水ニ流ス。
 門前ヨリ旧墓地又ハ適当ナル所迄、点々火ヲ焚キテ送リ終点ニハ一層多ク火ヲ焚クナリ。コレヲ「おくり火」トイフ。翌十六日夜モ又之ヲ行フ。
 一関町ニ於テハ、此夜、各商店前ニ薪ヲ重ネ火ヲ焚ク。又、軒燈ニハ種々ノ提灯、行燈等ヲ吊シ飾物等ヲナス。
七夕ノ際ノ如シ。
 磐井川ニ於テハ燈籠流シトテ、本年最モ近ク水死セル者アル家ニテ、屋台船ヲ造リ、之レニ燈籠、提灯等ヲ吊シ、生花、造花ニテ飾リ、念佛ヲ唱ヘテ供養シ之レヲ流ス。
 之レ等ヲ見ントシテ、近在ヨリノ人出多シ。但シ灯籠流シハ、多分費用入ル爲ニヤ、近来ハ少ナクナレリ。

七月十六日
 此ノ日ハ、地獄ノ釜ノフタノ開ク日ナリトテ、朝ヨリ楽シク遊ブ。おくり火ハ前日ノ如シ。一関町ニ於ケル行事モ又同ジ。但シ、灯籠流シハ無シ。

七月十七日
 当日ハ、近傍ノ觀音様ニ詣ズル者多シ。此ノ地方ニテハ、東磐井郡舞川村舞草神社内ノ觀音尤モ賑ヘリ。此処ニ参詣スレバ、農家ハ「御絵馬」(板札ニ馬ノ彩色畫)ヲ頂キ帰リ、厩ニ掲ゲ置ク風アリ。舞草神社ハ延喜式内ノ古社ナリ。

七月二十日
 二十日盆トイヒ、佛ニ供養ス。又、一般業ヲ休ムヲ常トス。

七月晦日
 晦日盆ト云ヒ一般業ヲ休ミ佛ニ供養ス。

盆中ノ行事雑件解説

一、高燈籠
 死亡者アル時ハ、其ノ家ニテ三年間之レヲ建ツ。高燈籠トハ、長キ竿(材ハ多ク杉丸太ノ長木ニテ、十五尺ヨリ二十尺位)ノ頂上ニ行燈ヲ点ズルナリ。五年、七年、十三年等、年忌ニ当ル盂蘭盆ニモ又、高燈籠ヲ建ツルヲ例トス。

一、盆中ノ食物
 十三日ヨリ十七日迄、及二十日晦日トハ、魚肉、獣肉等肉食セザルモノトス。

一、盆賀
 十四日ヨリ親族知友互ニ往来シテ物品ヲ贈答シ佛前ニ詣ツ。来賀セラルレバ酒・饂飩等ヲ饗應スルヲ例トス。新シキ死人アレバ必ズ来ルベキヲ義理トス。盆賀廻礼、昔時ハ随意日時ヲ撰ミ往来セシモ、今ハ日時ヲ定メテ一同ニ招待スル風行ハル。

八月一日 八朔
 各戸、餅ヲ搗キテ祝シ休業ス。八作ノ一日。

二百十日
 コノ日ハ、農家ノ厄日ナリトテ、休ミテ無事通過ヲ祈ル。

八月十五日 名月
 オ名月様トテ、農家ニテハ枝豆ヲ煮、又、燒米ヲ搗キテ、神ニ供フ。時ニ餅ヲ搗クコトアレドモ、例トスルニアラザルガ如シ。休業セザルハ一般ナリ。

九月九日
 「菊ノ節句」トテ、五節句ノ一ニテ休日。

九月十三日 「後ノ月」

九月十三日 村社祭日 (春ハ三月十九日)

十月十日 めむかひ
 此ノ日ハ大根ノ年越ナリトテ、夕方、大黒天ニ二股ニ分レタル大根ヲ捧ゲ、又、煎リ豆モ五升枡ニ入レ、之ノ金銭ヲ混入シテ神前ニ供ヘ拝礼、又時ニハ必ズ五升枡ヲ持ッテ採リ動カシテ「オ大黒様ノ耳アケロ」ト唱フ。終リテ神前ニ供ヘタル五升枡ノ煎リ豆ヲ、一握リニ自分ノ年齢ノ数ヲツカム様ニ取リテ数ヘツツ食ス。最初、一握リニ取リ当リタルヲ吉トス。

十月二十日 恵比寿講〜 (順序不同)
 此ノ日、農家ニテハ、小鮒二尾ヲ取リ来リテ、生ノママ蛭子神ニ奉リ、米飯及赤飯等ヲ炊キ祝ス。奉リタル鮒ハ、翌日、清流又井戸ニ放ツ。商家ニテハ特ニ念ヲ入レテ此ノ日ヲ祝ス。宴ヲ張リテ特意ノ商人ヲ招待シテ互ニ祝シ合フヲ例トス。

十一月三日、十三日、二十三日 太子講
 此ノ三日間ヲ俗ニ「御太子」ト称シテ、小豆団子又ハ餅ヲ搗キテ神ニ供ヘ祝ス。之レヲ神ニ供フル時ハ、萩ニテ箸楊子(楊子ハ萩ヲ其ノ儘、箸位ノ長サニ切リ、先ヲ尖シタルモノ、大箸ニハ一本ニ三ヶ所、花ノ形ヲ附ス)ヲ作リテ、食器ニフ。又、家宝ト称シ萩ヲ五分内外ノ長サニ切リ、団子餅ノ中ニ入レ置キ、食中之レニ当リタル者ヲ吉トス。
 普通ハ、以上ノ三ノ日祀レ共、家例ニ依リテハ一回ニ祀ル家モアリ。一回ニ祀ル家ニテハ、二十四日ヲ以テ之ヲ行フ。

十一月十一日 一杯餅
 此ノ夜、夕食ニ一杯餅トテ、一人ニ附キ米弐合五尺ヅツノ割ニテ餅ヲ搗キ食スル風アリ。餅ハ一種ヲ入ルルヲ常トス。ソノ由来ヲ知ラズ。

十一月十五日 油しめ
 節分ノ豆マキ
 煎豆ヲマク。「鬼ハ外、福ハ内、天打チ地打チ鬼ノ目玉ブッツブセ、ブッツブセ」トイヒテマク。

十二月二十五日 煤払
 古昔、十二月二十五日ト定リ居タル由ナレド、十四,五年以前迄ハ其ノ家ノ都合ニヨリ、十二月中、何時ナリト之ヲ行ヒタリ。現今ハ衛生規則ニヨリ、春秋二回、清潔法施行スベキニ附、之ノ時ニ行ヒ、十二月ニ行フ者ナシ。長明四季物語、煤掃ノコト、陽成院ノ御頃ハシマル云々。 
 
十二月二十八日 餅搗キ
 農家ニテハ、此日ニ於テ、正月元旦ニ諸神及神棚ニ供フベキ供餅並ニ正月食フベキ餅ヲ搗ク。先ツ初メニ搗キタル餅ヲ供餅ニシ、供フベキ神社神棚ニ應ジ、又、家例ニヨリテハ、大小種々鏡餅ヲ作ルナリ。朝食ニハ餅ヲ食ス。米玉トテ「じさの木」ノ適當ナルモノノ小枝ニ都合ヨクネリ付ケテ内庭ノ柱ニ立ツ。亦、コレラ適當小枝ニ付ケテ、神棚等ノ前ニモ供ス。門松ハ、此ノ日ニ於テ用意シ置クヲ例トス。

十二月晦日
 本日ハ、年越シトテ、神棚ヲ掃除シ、新シキ注連ヲ張リ、御幣ヲ奉リ、又、門ニハ門松ヲ立テテ祝フ。門松ニハ、夕方、神酒・さんごさかな(さんごさかなトハ半ヲ四ツ折リニシ之レヲ三角ニ折リタルヲ台トシ、之ニ田作リ昆布・大根等ヲ盛リテ奉ルモノ)等ヲ捧ゲ、又、種々ノ供物ヲ机上ニ供ヘテ、主人礼拝ス。夕食ハ一家打揃ッテ楽シク食シ、献立ハ、家例ニヨリ種々アランモ、神酒ヲ頂キ米飯ヲ食ス。二ノ汁・焼キ物(鱒ヲ普通トス)等ヲ用フ。此ノ夜、悪魔拂ヒトテ、先キニ神官ニ与エラレタル御幣ヲ振リ立テ、本家ノ室々ヲ初メトシ、「悪魔ヲ拂フ、悪魔ヲ拂フ」ト唱エツツ、建物全部ヲ歩キテ、厩ニ至リテ止メ、其ノ御幣ヲ厩ニ納ム。又、悪魔拂ナリトテ鉄砲等ヲ打鳴ラス者アリ。


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註1:寛平二年(890年)宇田天皇宸記 正月十五日、七種粥。三月三日、桃花餅。五月五日、五色粽。七月七日、索麪。十月初、亥餅等。俗間に行い来る。もって歳時となす。自今以後、色ごとに弁じ調べ、よろしくこれを供奉すべし。
底本:「復刻 眞瀧村誌」
 2003(平成15)年6月10日発行
発行者 眞瀧村誌復刻刊行委員会
代表 蜂谷艸平
2004年3月10日作成