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 第二節 供養石塔

 神社参詣ノタメ講ヲ結ビ、順番ニ出立シテ参詣ヲ終ヘ、又ハ敬神講ヲ組織シタル場合其他悪疫流行ノタメ諸願ヲナシ無事ヲ祈リタル際等ニ於テ、其ノ神名ヲ石塔ニ刻シ、適當ナル場所ヲ撰ミ建立シ、爾後、期日期日ニ参拝奉祀スル風、古来ヨリ行ハレタルガ如シ。サレバ、本村内至ルトコロニ供養石塔ノ存セザルハナシ。材ハ多ク、自然石其儘ニシテ、形ノ良キモノヲ撰ビ、台石ノ上ニ建設シタルモノナリ。
 現在本村内ニ建立セラレアル供養石ヲ掲グレバ左ノ如シ。

 三 関ノ部 (五基)



殿



































































 眞 柴ノ部 (四十基)








































































殿






































































































































































































西










鹿

















































眞 柴ノ部 (四十基)












































































牧 沢ノ部 (十五基)








































































































































































































狐禅寺ノ部 (五十基)
































殿


















































































































































































































































宿
































































































殿






























































































































































































































 














































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滝 沢ノ部 (八十基)

殿































椿







































































































































































































































































殿






































































































































































































































殿











殿































殿



































































































































































































































































































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*1:明和六年(西暦一七六九年)か?
己巳供養、巳待塔:六十干支の第六番目の己巳(つちのとみ、きし)の日は弁財天の縁日で、この日弁財天を祭れば、蓄財・学芸・農産等に福をもたらすとされます。己巳の日の夜に、講中または個人て遅くまて起きていて精進供養する行事を巳持と言い、この供養に造立されたのが己巳供養、巳待塔。
馬頭観世音:馬は観音様の化身として大事にされた。三面八臂で宝冠に馬頭を戴く観音、旅と馬の守護神。
馬櫪神:うまやの神、馬の守護神で、馬頭観世音と共通するところがある。
御疱瘡ノ神:疱瘡(イモ、或いはカサと訓む)古代から猛威を振るった疱瘡を神としてまつり封じ込め、鎮めるため「疱瘡神送り」の祭りまである。
庚申(かのえさる)塔:六十干支の第五十七番目の庚申の日に猿田彦大神または青面金剛神を祭る。庚申の祭は古くは夜を徹して行われたので、庚申待と呼ばれた。甲子祭と同じく、年間六、七回巡って来る。起源は中国の道教で、人の体内に居る三尸(さんし)という虫が、庚申の夜に寝ている間に天に昇り、天帝にその人の悪事を告げ、寿命を縮ませるとされたことによる。なお、三匹の猿は神使である。
第六天:欲界の〈他化自在天〉のこと.仏教では衆生の世界を六道に分けているが,その中の一つに天界がある.天にも欲界・色界・無色界の三界があるとされるが,その中の欲界にある六天を六欲天と呼び,六欲天の第六層すなわち最上層の他化自在天を第六天と呼んでいる.天魔波旬とか魔王と呼ばれる天のことで,常に多くの眷属をひきいて人間界において仏道のさまたげをするといわれる。
八幡神社:本社は宇佐神宮、祭神 仲哀天皇 応神天皇 神功皇后。 全国に祭られその数、4万社を数え神社界最大である。
月山、湯殿山、羽黒山、出羽神社:月山頂上に月山神社、羽黒山頂に出羽神社、湯殿山の中腹に湯殿山神社が夫々鎮座されているが、三つの神社を合わせて通称「出羽三山神社」といっている。また、月山神社と湯殿山神社は冬季の参拝が無理であることから羽黒山の出羽神社に三神を合祭し「三神合祭殿」と称し、恒例の祭典は三神社同時に合祭殿で行われる。御祭神は−月山神社は天照大御神の弟神の月読命、出羽神社は出羽国の国魂、伊波神と稲倉魂命、湯殿山神社は大山祇命、大己貴命、少彦名命を祀っている。
古峯神社:古峯神社は栃木県鹿沼市古峰原にあり、祭神は日本武尊で総ての開運・除災・心願成就の神として、古来より信仰された。『不滅の聖火』と呼ばれる千年不滅の火が、本堂の土間で今も焚かれている事から防火の御利益で有名である。
竹駒神社:承和九年(八四二年)に、小野篁が陸奥守として着任した際、東北開拓、産業開発の大神として創建された。祭神は人間の衣・食・住をつかさどる倉稲魂神(うかのみたまのかみ)、保食神(うけもちのかみ)、稚産霊神(わくむすびのかみ)である。人々の信仰が厚く、奥州藤原氏や歴代の仙台藩主の庇護を受けた。宮城県岩沼市。
早池峯神社:大同二年(八〇七)山蔭兵部成房が瀬織津姫大神を勧請し、東子獄明神と称したのが奥宮の創始である。鎌倉時代、快賢という修験僧が川原坊を経営、正安二年(一三〇〇)越後の客僧円性阿闇梨が岳の現在地に一宇を建立し、十一面観音を勧請して早地峯大権現別当妙泉寺円性と称えた。慶長十五年(一六一〇)盛岡南部家は早地峯を深く信心し、利直公自ら大旦那となって二か年がかりで、社堂悉く改築寄進した上、社領百五十石及び三十六か山を境内山林として付与した。以来領内総鎮守として、信仰を集めてきた。
祭神 瀬織津姫命(当初は姫大神と云う)岩手県稗貫郡大迫。
秋葉大権現: 戦国時代に出現した修験者が、死後秋葉三尺坊大権現として祀られた。火防の神として各地に祀られている。本山は遠州秋葉山に在った。東京秋葉原の地名は同地に秋葉大権現を勧進したことからついた。
金華山:金華山は弁財天を祭り、日本五弁財天の一つで、福徳・知恵・財宝を与える神。
金剛山:奈良県南部の霊場。
鳥海山:鳥海山は山形・秋田県境にそびえる火山で、古くから信仰の対象であった。鳥海山は大物忌神とされ、山頂には大物忌神社がある。最古の噴火の記録は五七八年だが、その後も度々噴火したため朝廷が大物忌神の怒りを鎮めるために位階を贈ったという。開山は天武天皇の御代に修験者「役小角」により開基されたと伝えられる。大物忌神社は山頂のほか山麓の遊佐町吹浦と蕨岡に口ノ宮があり、山腹の鳥海ブルーライン沿いに中ノ宮もつくられている。天慶年間頃から出羽国一ノ宮とされ在地領主から深く信仰された。鎌倉時代以降は修験道が入り込み、遊佐町蕨岡側と秋田県の矢島側にそれぞれ修験の勢力が育った。南北朝時代には奥羽を転戦していた南朝方の有力武将北畠顕信が大物忌神社に所領を寄進して南朝方の勢力回復と奥羽平定を祈願している。
金毘羅山:金毘羅は仏教の守護神の一つ。海神・水神として海上安全、雨乞いの祈願。
鹽竈神社:御祭神は別宮に主祭神たる塩土老翁神・左宮に武甕槌神・右宮に経津主神。江戸時代以前はあまり判然とせず諸説があった様である。陸奥國最大の社として中古より崇敬された神社の御祭神がはっきりしないのは奇異な感があるが、呼称も鹽竈宮・鹽竈明神・鹽竈六所明神・或いは三社の神など様々あった。そこで伊達家4代綱村公は社殿の造営に際し、当時の名だたる学者を集めて研究せしめ現在の三神とし、又現在の別宮の地にあった貴船社と只州(糺)宮は現在の仙台市泉区の古内に遷座された。
足王神社:祭神は大国主之命、手名椎之命、足名椎之命の三神をお祀りしている神社。手や足の病気快復に霊験があるとされる。
足尾神社:祭神は國常立命、面足命、惶根命。常陸山三山(足尾、加波山、筑波山)の一、足尾山に鎮座。茨城県新治郡八郷町。

底本:「復刻 眞瀧村誌」
2003(平成15)年6月10日発行
発行者 眞瀧村誌復刻刊行委員会
代表 蜂谷艸平
2004年3月10日作成