本日ここに、多数のご来賓の方々を始め、地元関係各位のご臨席を賜り、国営須川開拓建設事業の完工式を挙行できますことは、本字業に従事してまいりました私共職員一同にとりまして、この上ない喜びであります。また、この意義深い式典におきまして、本事業
の経過をご報告申し上げる機会を得ましたことは、誠に光栄に存ずる次第であります。
皆様、すでにご承知のこととは存じますが、当須川地区の名称について申し上げますと、当初この地区の開発予定地は、全国的に
はその名を栗駒岳の山麓を中心として、事業が計画されたことに由来するものであります。
須川山麓地域は、一関市が昭和34年に酪農振興地域に指定され、続いて花泉町が、農業構造改善実施地域に認定されるなど、当 地域における農業構造改善に対する環境は、次第に整いつつありましたが、昭和39年に至って、ようやく須川地区大規模開拓パイ
ロット事業が、調査地区として採択されることとなり、3,900haの調査が開始されたのであります。
その後の調査の結果、須川山麓の厳美地区は、磐井川の水質が酸性が強く、その水量も不足するところから、地区除外となり、また平泉町の束稲地区は、県営事業地区として独立するなど、事業地区は当初出発の須川山麓からは遠く離れた北上川沿いの西磐井丘陵地に確定した経緯がございます。
岩手県を縦断し、北上平野の中を南下する北上川は、県南の一関市に入り、通称狐禅寺の狭窄部と称される渓谷までまいりますと、 その西岸は、急に高くなり、標高50mから150mの波状形丘陵地帯に入ります。
西磐井丘陵地帯に属するこれらの地域は、北上川沿いとはいいながら、水源に乏しいため、天水利用の水田が散在するほかは、そ
の大部分は、薪炭採草地として利用されるのみで、未開発のまま放置されてきた地域であったのであります。
地元関係者は、これら未利用地の高度利用と地域振興のため、いわゆる開拓パイロット事業を導入することとしたのであります。すなわち、農地開発事業を実施することによって、未利用、低利用の山林原野を開発して耕地とし、農家の経営規模の拡大を図ると
共に、新たに道路網を整備することによって、農産物の集出荷を容易にし、これと併せて行う既耕地の区画整理並びに灌漑排水事業
によって、山林原野の中に散財していた既耕地の集団化と土地利用の高度化を図ることとし、もって農産物の安定供給と農家経営の改善並びに合理化を図ることを目的としたものであります。
基本計画は、一関市狐禅寺から西磐井郡花泉町金沢に跨る1,220haの丘陵について、開田を中心とする総合の内開発事業地区 としてまとめられ、昭和44年10月に東北農政局須川開拓建設事業所が開設されたのでありますが、当時の米の需給事情の変化によ
り「開田抑制施策」が施行されたため、当須川地区においても、実施計画の変更を迫られることになったのであります。地元関係者の 開田に対する意欲は、非常に強いものがあり、岩手県を始め地元代表による熱心な陳情と、農政担当者の農林本省並びに大蔵省に
対する再三にわたる折衝の結果、当時、建設計画が進められていた北上川遊水池などの代替地として、370haとした施策開田が、餅 米栽培を条件として、特別に認められて、ようやく工事着工の見通しがついた次第であります。
昭和46年1月に確定した事業計画の内容は、その地区面積を842haとし、520haの農地開発事業と、260haの土地改良事業を併せ行う、いわゆる総合農地開発事業として出発したのであります。
総事業費30億5千万円、520haの水田と野菜栽培を中心とする畑地260haを造成改良するこの事業は、その後、岩手県において受益農家の意向調査を行ったところ、畑作については、より経営の安定する、りんご、ぶどう、ももなどの果樹、そして従来から、この地方に定着してきた桑、たばこの栽培を希望するものが多く、関係機関による検討の結果、農家の意向を取り入れた方向で変更しております。
従来、干ばつに悩まされてきた、当地方の用水源は、建設省との協議の結果、北上川本流から取水する事が可能となり、一関市小間木に毎秒1.7tの揚水能力を持つ第一揚水機場を設置することが出来ました。
丘陵地に展開する耕地にかんがいする用水路は、全線パイプラインとし、途中3箇所の揚水機場が加圧する事によって710haの田畑の隅々までかんがいする事が可能になっております。
パイプラインは、幹線用水路だけでも、10kmに及ぶため、これらの用水施設の管理は、地区の中央に設置された用水管理所のボタン一つで集中管理を行うことが出来、施設の安全な管理と用水の合理的な利用に、その力を遺憾なく発揮しております。
地区内に新設された道路は、幹線、支線合わせて96kmにも及びますが、これらの道路網の整備は、単に地区内の農産物の集出荷のみにとどまらず、地域の生活道路としての役割も大きく、地域の活性化に貢献するところは、非常に大きなものがあると確信いたしております。
農地造成工事は、収穫までに年月を要する樹園地の造成を優先的に実施することとし、昭和51年からは、ぶどう、ももなどの収穫が開始されておりますが、各生産組合長を中心とする農家の熱心なる経営意欲を反映し、その成績は、年々向上してきております。
山林原野を切り開いて、新しく造成された水田は、新墾地であることと、パイプラインによるかんがい管理など、従来にない栽培技術が要するため、農業改良普及所及び土地改良区の指導のもとに、受益農家によるモデル展示圃場を設営するなど、努力の成果は、すでに平地を上回る収量を見ることが出来る農家も出ております。
860haに及ぶ事業地区において、従来、各所に散在していた小規模の耕地は、その土地基盤の軟弱と道路網の不備のため、機械化営農を阻害していたのでありますが、本事業によって造成改良された農地は、換地業務によって集団化され、合理的な営農管理を可能にしております。
この間、岩手県では、農家の営農指導を強化するため、昭和46年に「土地改良事業営農対策推進委員会」を発足させ、現地では農業改良普及所が中心となって地域の実態に合った営農指導を行うため、試験圃場を設置し、畑地かんがい、暗渠排水並びに土壌改良の試験を行う等、現地に密着した指導を行っております。
また、各生産組合には、トラクターなど高能率の営農機械の導入を行うほか「農業近代化施設整備事業」によるライスセンターを始めとして、コンピューター式大型選果機を使用した近代的な青果物集出荷施設などの建設により、この地域における農業近代化施設の整備は、本事業による基盤整備事業の推進とあいまって、、年々その機能を充実しております。
着工以来、18年の歳月と119億円に及ぶ事業費を投入して、ここにめでたく事業の観光を迎えることが出来ましたことは、この上ない慶びといたすところであります。
ご支援とご協力を賜りましたご来賓の皆様方、更には直接工事並びに調査設計に当たられました関係業者の方々に対しまして心から謝意を表する次第であります。
終わりに、最近の農業を取り巻く情勢は、非常に厳しいものがありますが、須川土地改良区を中心とする本事業の受益者の皆様方が、この事業により造成された諸施設を有効に活用され、本地域農業が、今後一層のご発展あられますことを祈念しまして、私の事業経過報告を終わらせていただきます。
昭和62年9月3日
東北農政局須川開拓建設事業所長 宮木 省三
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