上代の東北
 後漢書に言う「倭國大乱」は桓帝・霊帝の間、すなわち146〜183年のことですが、その時点は弥生時代の後期です。渡来系の各部族が生活の場をかけて興亡し、やがて勢力の帰趨によって古代国家が形成されてゆきます。一関地方一帯は既に先人が生活し、農耕が始まっていたことは縄文時代に圧着した稲粒の存在で明確です。

 近畿の豪族、安日彦(アビヒコ)、長髄彦(ナガスネヒコ)兄弟は、日向から侵攻した後の神武天皇の軍に破れ、東国に逃れ青森県津軽地方に移動したと言われています。その安日彦の流れからニトロシ(現二戸郡淨法寺町)を経由して衣川村に住み、後に奥六郡の郡司となるのは安倍頼時であり、それより前、この地方を支配したのがアテルイです。

 この頃の本州東部およびその以北は大和朝廷の支配下に置かれておらず、「蝦夷(えみし)」と呼ばれていました。支配領域を拡げる大和朝廷は蝦夷と対立し、幾度となく戦いました。延暦8年(789年)、朝廷軍の紀古佐美(キノコサミ)が遠征した際、巣伏村(現在の奥州市水沢区)でアテルイが率いる蝦夷軍と戦い(巣伏の戦い)、朝廷軍は敗北しました。
 

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更新履歴 新規作成日:2004/04/01
最終更新日:2012/09/24
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