源平抗争と藤原氏滅亡
 平清盛は保元、平治の乱(1159)を経て源氏勢力を滅ぼし政権を得ました。敗死した源義朝の子の頼朝は配所で平氏打倒を狙いましたが、頼朝の弟の義経は平泉の秀衡に匿われ、養育されました。
 治承4年(1180)、源頼朝が挙兵し、大規模な内乱(治承・寿永の乱)の果てに、平氏は滅亡します。
 文治元年(1185)、鎌倉幕府を開いた頼朝は天下を制覇し、乱の後に対立した義経を敵としました。義経は難を逃れるため再び平泉の秀衡のもとに身を寄せますが、秀衡は文治3年(1187)に卒し、家督は泰衝が継ぎましたが父の器量はなく、同5年4月に義経を衣川館に襲いました。
 泰衝は頼朝に義経の首を差し出すことで平泉の平和と独立を保とうと図りましたが、頼朝の目的は義経ではなく、奥州の地でした。
 文治5年(1189)7月、頼朝は泰衡追討の勅許が下りないまま、大軍を発して奥州を攻撃し、平泉を焦土としました。
 泰衡は平泉から逃亡したものの、郎党の河田次郎の裏切りに遭い討たれ、ここに奥州藤原氏は滅亡します。
 

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更新履歴 新規作成日:2004/04/01
最終更新日:2012/09/24
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