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天正17年(1589)、小田原征伐にあった豊臣秀吉は、全国の諸大名に臣従の証として参陣を命じました。直ちに参陣した津軽、南部、最上、相馬、伊達、戸沢等は所領を安堵されましたが、参陣に遅れた、または参陣しなかった葛西、大崎、和賀、稗貫、石川、江刺、黒川、田村、白河の諸氏は攻撃を受けて領地没収、城地追放の処分を受けます。
天正18年(1590)7月、蒲生氏郷・木村弥一右衛門を主力とする二万の奥州仕置軍が進攻し、葛西氏は宮城県桃生郡深谷の神取山、栗原郡森原山に陣を構えて仕置軍と交戦するものの、多くの武将を討たれ潰走。本城である寺池城も陥落しました。葛西十七代当主の晴信は敗れ、家臣の千葉氏も滅びました。
葛西氏の領地は大崎氏の領地と共に仕置軍で戦功のあった木村吉清の領地となり、三百人の城館持武士は土着農になるか離散することになり、地頭政治が終わりました。
しかし、郡小地頭を追放し、厳しい検地と刀狩を行う木村氏の圧政は地侍の反発を招き、仕置軍主力が奥州から引き上げた天正18年10月16日、葛西氏と大崎氏の旧臣による葛西大崎一揆が勃発します。木村氏はこの一揆を招いた責任を問われ、改易されました。
その後、当地方は伊達家の治領となります。 |
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更新履歴 新規作成日:2004/04/01
最終更新日:2012/09/24 |
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