平泉権勢と荘園
平安時代に土地私有の、荘園が全国的となりました。律令制に依る納税義務を逃れる為に、所有者や地方豪族は自墾地荘園を拓きながら、納税せず実質私有の手段として、貴族や寺院に寄進しました。

 当地方ではその時点で荘園制は及びませんでした。安倍、清原、藤原の勢力がその成立を拒み続けましたが、次第に寄進型荘園の形態をとるようになりました。

 奥州藤原氏が管理した荘園は高倉、本良、大曽根、屋代、遊佐の五庄です。当事業地域の中村、金沢等の磐井郡南部が含まれます。

 藤原清衝は奥六郡と五荘園を支配し、南は白河関から北は外ヶ浜を掌握して、押領使(おうりょうし)となりますが、三代秀衡は嘉応2年(1170)に鎮守府将軍、養和元年(1181)には陸奥守として東北最高の権力を得ました。
 

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更新履歴 新規作成日:2004/04/01
最終更新日:2012/09/24
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