葛西氏と地頭政治
 頼朝は奥州藤原氏攻めの際、阿津賀志山の合戦等で戦功を挙げた家人の葛西清重に葛西五郡、胆沢・江刺・磐井・気仙・牡鹿・六十六島など、宮城県北部から岩手県南部にわたる広汎な領土を与えました。さらに後に本吉、登米、桃生郡をも併せ、最盛期の版図は葛西七郡三十万石と称されました。
 奥州藤原氏攻めの後、葛西清重は陸奥国在住の御家人奉行職「奥州総奉行」と平泉郡内の「検非違使職」に任命されました。清重は胆沢、磐井、牡鹿の各郡に御家人を配置し、千葉富胤を岩井一ノ関城主としました。城館持侍以下の侍は、平時は農耕をし、所領の開拓をしました。従卒達は平時は小作人であり、城館持侍は村地頭であり、地主名主でもありました。
 葛西氏は室町時代から戦国時代初期にかけて、領土を接する大崎氏との間で度々争いが起こり、互いに疲弊しました。
 戦国時代末期には領土拡大を図る伊達氏と密接な関係をもち、葛西領は「伊達の馬打ち」と呼ばれる伊達氏の準領土となりました。
 

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更新履歴 新規作成日:2004/04/01
最終更新日:2012/09/24
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